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2012-03-14 (Wed)

+++2011年3月11日。+++


書こうか、すごく迷ったのですが

クラシナが体験した3.11を
Y君が大きくなった時に聞かせてあげるために
書いておこうと思います。


長くなりますので、たたみます。



* * *


**********

3月11日。

息子のY君が生まれて7日目のこの日
クラシナとY君は、待ちに待った退院日だったのです。

退院の準備は朝から始めたものの
なかなか病院の会計が終わらず
朝10時に退院するつもりが
気が付けば11時30分。。。

病院から初めて出るY君。
すぐにタクシーに乗り込み
住み慣れていない我が家へ。
(実はY君が生まれる1週間前に引越ししたばかりで
クラシナはその時は破水した日の1泊しかしたことのなかった家だったのです/汗)

帰りのタクシーでは、信号を見誤ったタクシーの運転手さんが
交差点のド真ん中で急ブレーキを踏んで、もうすこしで
大惨事になるところでした。

生まれたばかりのY君を抱いているクラシナは冷や汗が吹き出し
家につくまで緊張の時間が流れました。

自宅についたのが12時30分。
さっそくY君に授乳してオムツを替えて
寝かしつけて実母とお茶を一服し始めた時にあの地震が起こりました。

幸い、引越ししたばかりの自宅は
免震住宅だったこともあり、あまり恐怖はありませんでしたが
初めて体験する長時間の揺れに不安がつのりました。

前日にも病院で地震を3回体験していたこともあり
「これは何かおかしい!!」とテレビをつけると大地震の中継。

なによりもこの日、一番怖く感じたのは
すぐに琥月と連絡が取れなかったこと。

当時、琥月は東京の赤坂付近でお仕事をしていたのです。
通勤時間は電車を乗り継いで自宅から片道2時間弱。
お仕事をしている建物はとても古い建物で頼りない建物だと
いうことを聞いていました。
連絡がとれるまで不安がつのります。

退院してきた当日に、まさかこんなことが起こるとは思ってもおらず
病院で退院手続きをして、会社に直行させてしまった自分を悔やみました。
無理やりにでも、会社をお休みしてもらえばよかった。。。とまで思いました。

連絡が取れないまま深夜0時近く。
やっと電話がつながり、東京から歩いて帰る旨の連絡がきました。
その連絡を聞いて、正直複雑な気持ちでした。
「急いで帰ってこなくていいから、安全な場所にいてほしい。」
「早く帰ってきて私とY君と一緒にいて欲しい。」
自分の中で葛藤ばかりがうごめきます。

元気な顔を見るまでは安心できずに
その日はずっと眠れませんでした。

結局、琥月が家にたどり着いたのは
朝方の4時近く。
会社を出てから約6時間ほど歩き続けたそうです。
足にはたくさんの水ぶくれやたこができていて
痛々しかったのと自分達を心配して
そこまでして帰ってきてくれた気持ちがとても嬉しかったのを
今でもはっきりと覚えています。

*********


眠れなかった理由は琥月の件だけではなく
同時進行でクラシナの姉への心配も重なっていました。

3月11日。大地震の後、クラシナの姉も小学校へ子供を向かえにいき
連絡・消息が取れなくなっていました。

15時30分頃、震災伝言掲示板に
「●●ちゃんを迎えに●●くんと小学校に向かいます。」との
書き込みを姉がしていたのですが、父が17時頃に小学校へ迎えにいくと
担当の先生から
「●●ちゃんはいますが、弟さんと姉は来ていませんよ?」の一言。
焦った父は●●くんだけでも引き取ろうとしたところ
「肝心の●●くんも見当たらなくなった。」という連絡。

心配になり、携帯に電話をしてもつながらず
父は夜中、色々な避難場所に姉を探し回っていました。
結局、深夜1時すぎまで姉の消息は分からず
再度伝言掲示板に姉が書き込み
その書き込みを見て無事なことが判明。
翌日、父が避難場所へ迎えにいき無事が確認されました。

小学校の担当の先生は、どうやらパニックになっていたらしく
勘違いしてしまったようでした。

この時、震災伝言掲示板のありがたさを感じると同時に
書き込みが途絶えた時の不安は計り知れないということを悟りました。


********


震災から2日後の13日。
クラシナの住む地域では計画停電が開始され
1日に3時間ぶっ続けの停電。

3月はまだまだ寒く、暖房なしでは
新生児のY君が凍えてしまうため
とにかく布団の中で抱っこをし続け
授乳・オムツ換え・入浴の時間は
停電を避けて調整。

ただでさえ、初めての育児に
計画停電を考えての生活はストレスの毎日でした。

3時間ぶっ続けの停電はとにかく大変で
日によっては、夜に停電が行われ
暗く、寒い中でのY君のお世話・オムツ換え。
しかも、停電になるとマンションでは水も出なくなるため
トイレなどは汲み置きした水を使うしかありません。
前もっての水の確保。必要であろう水の量の予測が思った以上に大変でした。

計画停電も始めの頃は、前日の夜にネットで次の日の計画停電の予定を
調べるしか手段がありませんでした。
しばらくすると1週間ごとの計画停電予報が
インターネットで公開され、テレビのデータボタンで見ることができました。

計画停電とは言えど”その地域の需要量が足りなくなるといつでも停電が起きる”とも
聞いていたため、Y君のお世話をする時はいつも
「急に停電になったらどうしよう?」という不安を抱きながらのお世話でした。

13日の夜にいたっては、夜22時に次の日の計画停電の予定表が
ネットに公開され、それにしたがってY君のお世話を計画しなければなりませんでした。

お世話の計画を立てる上でなによりも大変だったのが沐浴(入浴)。
暖かい昼間に部屋を暖かくして済ませなければならなかったので
毎日ヒヤヒヤしながらの沐浴でした。

**********


退院して自宅に帰宅後、しばらくの間は3時間おきの授乳。
一日10回以上のオムツ交換。あやし、寝かしつけ。。。の毎日で
入院していた間、我慢して楽しみにしていたテレビをつけても
震災についての特別番組ばかり。
CMさえも特別なCMに変わってしまっていて
なんだか、違う世界に帰ってきてしまった気さえしてました。

今になってみると、この時の経験が
Y君に対する子育てや考え方。
子供を守る気持ちの強さをたくましくしてくれた気さえしています。

今月1歳になったY君は、新生児の頃から
めったなことがない限り泣きません。

それはきっと、震災があった時から離れず
ずっと傍にいてあげたからかな?とも思います。
今までにY君と離れて行動したのは
美容院へ行った1時間と琥月と行った1時間の買い物の合計2時間しかありません。
毎日、かなりの親バカまったり生活を送っていますが
まだまだ細かい地震をたびたび体感しています。


近々「関東大震災が起こるのでは?」といわれています。
できれば、起こって欲しくないです。
予想が外れて欲しいです。

震災になって、食べ物が限られてしまったら
卵アレルギーのY君は、食べられる物が本当になくなってしまいます。
今も、出来る限りの貯蓄はしていますが
それでも卵の入っていない食品はごく僅かしかありません。

近い将来、そのような震災にあってしまったら
Y君から絶対に離れることなく、なによりもY君第一に考え
私が守ってあげなければ!!と思っています。


Y君の未来は、明るいと信じて毎日を過ごしたいと思います。


*******


最後に、3.11の震災に見舞われた皆様
決して希望は捨てずに、力強く前へ進んで行かれることを心より願っております。


長々とお読みいただき、ありがとうございました。
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